2016年07月12日

らすんじゃありません


 
 習慣にしたがって、ぴったりしたズボンをはいて、柔らかい革のブーツという恰好をしていた。最初ダーニクがガリオンに向かって言ったのは、鍛冶場とそこでできる灼熱した金属に手をふれるなという警告だけだった。だが、気心が知れてくると、ダーニクはもっと饒舌になった。
「手をつけたものは必ず仕上げてしまうことだ」とダーニクは助言するのだった。「ほったらかしておいて、しばらくしてから必要以上に火で焼き直すのは鉄のためによくない」
「どうして?」ガリオンはたずねる。
 ダーニクは肩をすくめた。「どうしてもだ」
 またあるときは、修理中の馬車の長柄の金属部分をやすりで最後にこすりながらこう言った。「常に最高の仕事をせよ」
「でもそこは下側の部分でしょう、誰にも見えないよ」ガリオンは言った。
「だがわたし[#「わたし」に傍点]はそれがあるのを知っている」金属をなめらかにする手を休めずダーニクは言った。「やっつけ仕事をすれば、この馬車が通るのを見るたびに恥ずかしくなるだろう――それにどうせわたしはこの馬車を毎日見ることになるだろうしな」


 こんな具合だった。ダーニクは、期せずして、仕事、倹約、謹厳、礼儀正しさ、そして社会の中枢を形成する実用主義などの堅実なセンダリア人の美点を小さな少年に教えたのだった。
 当初ポルおばさんは危いのがわかりきっている鍛冶場に出入りするガリオンの熱中ぶりを心配したが、台所の勝手口からしばらくようすをうかがってからは、ダーニクが自分に負けないぐらいガリオンの安全に気を配っているのに気づいて少し安心した。
 あるとき、つぎを当ててもらおうと大きな銅のやかんを鍛冶場へ持っていったおばさんは鍛冶屋に言った。「あの子が邪魔になるようなら、追い返すか、わたしに言うかしてくださいな、ダーニクさん。台所から遠くへはやらないようにしますから」
「邪魔なもんですか、マダム?ポル」ダーニクは微笑した。「あの子は賢いから邪魔をしてはいけないことぐらいちゃんとわかっていますよ」
「あなたはやさしすぎるのよ、ダーニク。ガリオンの頭は質問ではちきれんばかりなんですからね。ひとつ答えたら、あとが大変よ」
「それが男の子ってもんです」ダーニクはやかんの底のちっぽけな穴のまわりに当てがった小さな粘土の輪の中に、ぐつぐつ煮えたつ金属をそっと流しこみながら言った。「わたしだって子供の頃は質問好きでしたよ。でも親父も鍛冶の手ほどきをしてくれたバール老人も、できるかぎり辛抱強く答えてくれました。ガリオンにも同じようにしなけりゃ、かれらに借りを作ることになる」
 そばに坐っていたガリオンはこのやりとりのあいだじっと息をつめていた。どちらか一方が一言でもよからぬことを言えば、ただちにかれは鍛冶場から追放されてしまう。ポルおばさんが修理したてのやかんをぶらさげて踏み固められた裏庭を引き返していったとき、おばさんを見送るダーニクのまなざしに気づいて、ガリオンの頭にある考えが芽ばえた。単純な思いつきだったが、それのすばらしい点はそれがみんなを幸せにするということだった。
 その夜、粗布で片方の耳をごしごしやられてひるみながらガリオンは言った。「ポルおばさん」
「なんなの?」おばさんはガリオンの首すじに注意を転じた。
「ダーニクと結婚すれば?」
 彼女は手をとめた。「なんですって?」
「すごくいい考えだと思うんだ」
「おや、そう?」その声にかすかな険しさが忍びこみ、ガリオンはまずいことになったのを知った。
「かれはおばさんが好きなんだよ」弁解ぎみに言った。
「で、あんたはもうダーニクとこのことを話しあったの?」
「ううん。まずおばさんに話そうと思ったんだ」
「少なくともそれだけは賢明だったわ」
「よかったら明日の朝にでもぼくがダーニクに話してあげる」
 かれは片耳をむんずとつかまれて、むりやりおばさんのほうを向かされた。ポルおばさんはぼくの耳を便利な把っ手扱いしている、とガリオンは思った。
「このばかげた話はダーニクにも他の誰にも一言もも」彼女の黒い目がこれまでガリオンが見たことのない光を宿してかれをにらみつけた。
「ただの思いつきだったんだ」ガリオンはあわてて言った。
「大変悪い思いつきだわ。今後大人のことを考えるのはおよし」彼女はまだ耳をつかんでいた。
「言うとおりにする」ガリオンは急いで賛意を示した。
 しかしその夜遅く、静かな暗闇の中でそれぞれのベッドに寝ているとき、ガリオンは遠回しにその問題に近づいた。
「ポルおばさん?」
「なんなの?」
「ダーニクと結婚したくないなら、誰と結婚したいの?」
「ガリオン」
「うん?」
「黙って寝るのよ」  


Posted by 文化的コンテ at 12:10Comments(0)
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